人生

 生、生きるということをテーマにした作品である。生の根本は死を恐れる事でありそれ以外は装飾に過ぎないという事を主張したかった。私はこの小説の中で甚右衛門という一見エキセントリックな存在を登場させた。ここで読者にくれぐれも申し上げておきたいのは、私が甚右衛門に託した役割は読者を驚かせるための客寄せパンダ的なものだけではないということである。甚右衛門は私なりに考えた「生」の理念型である。快楽や生きがいといった装飾物をすべて取り払ったむき出しの「生」なのである。甚右衛門はいわば死を恐れるだけの存在である。彼は何かのために生きているのではなく生きるために生きているのだ。確かに人は快楽を求めるし、それに飽き足りぬものは「生きがい」なるものまで持ち出してきたりする。しかし私にはこれらは生きることへの正当性を付与する「お墨付き」のように思えてならない。結局生あるものの宿命は死を恐れ、死を迎えることである。その宿命をもって「生きる」と定義すべきではないだろうか。





幻想

 幻想をテーマにした作品である。一人の女性が恋愛を通して幻想を抱きそれが崩壊する過程を描いた。人は興味の対象に必ずといっていいほど幻想を抱くものである。その対象は仕事であったり、恋人であったり、地位や名誉、権力であったりと様々だ。しかし、幻想はいずれ崩壊する。よほど現実を理解する能力のない人間でない限り必ず崩壊する。そこで、人は崩壊に向かう己の幻想を必死で守ろうとする。本作に登場する女性のように。だが、それで幻想が崩壊した事(つまり現実)を受け止めずにすむのかといえば決してそうではない。ただ、受け止める事がより恐ろしくなるだけなのだ。幻想が生じ、肥大し、崩壊するというのが一つの周期なのである。私はいかに幻想を上手く、潔く崩壊させて、さらにそれを次の幻想への起点として繋げるかが人生を上手く生きるうえでの鍵となると思う。例えばあることに対して抱いていた幻想が崩壊したとしよう。しかしそこに次なる幻想に対する「火種」は残されていないだろうか。その火種を見つける能力にさえ長けていれば世間の言う「充実した人生」を送る事が可能なのではないかと私は思っている。



Home
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送