1・権力の起源

                              
 
 およそ生物なるものは欲求というものを抱いている。欲求とはすなわち何らかの行為を実行することによって満足を得ることが可能であり、ゆえにその行為を実行せんと欲する衝動である。                         
無論、この欲求なるものは自我を(わずかなりとも)認識できる存在、すなわち生命体であるかぎりにおいてこれを抱くのであろうが、より高等な生物になれば成るほど(それこそが高等な生物たる所以であろうが)その欲求も複雑化し、それを実現する手段はその目的に照らして、より高度になるであろう。すなわち、欲望・価値の複雑化、そしてそれに伴う達成手段の複雑化である。
 この過程で人間を始めとする高等生物はまさに今回のテーマである権力を生み出す、ある欲望・価値の達成手段を構築したのである。それは「協働」である。
 「協働」なるものが(無論欲望の達成手段として)成立しえる条件は、以下のとおりである。
まず協働に参加する各自我の欲望達成において、それを各自我独自で行う場合より、より満足度が高い、あるいはそれに伴う不快感が少ないということである。
単純に図式化すれば 

  協働した場合の   協働しない場合の
  満足度−不快感 >満足度−不快感      といったところであろう。

 さらにいえば、具体的には同種の欲求をもつ「個」が複数集合した場合、協働は起きやすいといえる。
では、いざ協働を実行するにあたりなにが必要となるであろうか。それは各「個」を、協働を可能にすべく統率、命令する存在、すなわち支配者である。支配者は協働によってその協働体全体にとっての欲望、利益の最大化がはかれるよう、統率、命令するのである。すなわち協働体の参加者は各々の欲望、利益のために彼を自らの上に立つ存在として認め、場合によっては目先の欲望、意向よりも彼の命令を尊重することとなる。(勿論、前述のとおり 協働によって満たされる満足度、欲望 > リーダーの意向を無視した場合の満足度、欲望 である場合に限る。しかしその協働が慣習化すると現実的にもはや協働なしに生活が不可能となり、そういう価値判断以前に協働に参加することが生活の前提となる場合も見られる。)かくして、彼はその協働体の参加者に「強制力」を執行できる存在、すなわち権力者(支配者)となるのである。
 

※よって協働体においては各個共通の利益こそが尊重され、共通項を持たない個々の利益は無視、時に圧殺される。



2・協働体間「抗争」の誕生


 これまでは、一協働体内においての権力の所在、支配・被支配関係についてみてきた。
では、協働体間のそれまたは抗争についてはどうか。これについては、少なくとも前項に記したのみの条件下(協働の構築とそれに伴うリーダーの誕生)において、存在しえないといえる。その理由は単純に、ある協働体が別の協働体を支配下に置くこと、あるいは抗争することに(協働体のひいては協働体の各構成員の)利益がないからである。
それでは、協働体に上記の行為を実行する利益をもたらしたものは何か。それは農耕・牧畜文化といえよう。
何故、農耕・牧畜が他協働体を支配下に置く、あるいは抗争関係をもつ利益を担保するのか。この根拠については農耕・牧畜の持つ以下の特性によって説明されるはずである。
すなわち、価値の保持と「生産」に伴う労力である。
 まず、価値の保持についてである。農耕・牧畜の誕生以前の協働体は、協働によって得られる利益をその場で分配、消費するしかなかった。(たとえば、狩猟・によって得られた食料は、その場で消費しないことには腐敗してしまう。)しかし、農耕・牧畜文化の誕生によりその価値を未来への欲求の充足に対する担保として存続させることが可能となったのである。具体的には農作物の貯蔵・保管、家畜の飼育、などである。そしてこの価値の保持・存続が同時に協働体間抗争の、いわゆる「火種」を生み出したといえるであろう。
 では次に「生産」に伴う労力について述べる。農耕・牧畜という生産活動には、当然それに伴う労力(苦痛)が求められる。そこで、彼らはその労力(苦痛)を取り除く、あるいは軽減する手段を模索することになる。その手段として最も有効なものが他協働体からの「強奪」である。前述のように、農耕・牧畜の特性として、価値の保持・貯蔵がある。つまり、保持・貯蔵されている農作物、家畜の強奪によりそれまでの生産過程に伴う「労力」を省略することが可能となるのである。
 つまり、農耕・牧畜における「価値の保持」という特性がいわば「原因」となり、同時に「労力の必要性」が「動機」となって、強奪という発想が生まれ、それを実行するため、あるいはその脅威に対する対抗策として「抗争」がうまれたのではないかと推測できるのである。
そして、その抗争の連続による協働体の成長・肥大化によりその後さまざまな統治システム、支配システムが成長したのであろう。

  
※ 農耕、特に稲は腐敗しにくいため、また家畜は基本的にその生命が存続する限り価値を保持することができる。



3・支配階級・被支配階級


 さて、先に見たように抗争の連続で協働体が成長、肥大化するといわゆる支配階級は寡頭化する。つまり、ごく少数の支配階級が多くの被支配階級を抱える形が一般化することになる。さらに、その少数の支配階級のみが、協働による利益を独占するのである。それに伴い、その多数の被支配階級の制御・統治が協働体・組織の新たな課題となってくる。つまり、この時点において協働体はもはや全体の利益の最大化を目的とした組織ではなく、少数の支配階級の利益の最大化のみが目的となっている。この状況下で如何にして、数の上でも上回る被支配階級に抵抗されることなく彼らの利益にならない労働を強いるべきか?この命題を解決しなくてはこの組織は崩壊するのである。
 そこで打たれる解決策として、まず被支配階級内部の組織化の阻止が挙げられる。如何に彼らが多数であったとしても彼らの利益を主眼に築かれた組織が無いのであれば支配階級に対抗する勢力とはなりえないのである。よって往々にして支配階級は被支配階級の組織化を最も恐れる傾向がある。
 第二に、そもそも被支配階級に「利益追求」の意欲を放棄させる、あるいは支配階級に都合の良い価値観・満足の基準を植えつけるという手法が挙げられる。まず前者であるがこれはいわゆる被支配階級の所属者に「自らの階級ではそもそも利益の追求は不可能だ」といういわゆる「あきらめ」を定着させる手法である。奴隷階級などはこれに属する。後者は被支配階級を啓発し、支配階級の利益の実現を目的とした組織の「歯車」として行動することに満足を感じるようその価値観、人格を恣意的に改造するという手法である。これは、俗にイデオローグ、洗脳と呼ばれるもので前者と比較して支配階級にとっては忠実な存在であり、望ましい形態といえよう。
 このように組織が肥大化を遂げると支配階級と被支配階級が誕生し、支配階級が被支配階級を自らの利益の下に組織化、統御することになり、支配階級はその限りにおいて利益を享受し続けることができる。それに失敗した場合、特に被支配階級に彼らの利益追求を目的とした組織の結成を許した場合は数の上で上回る被支配階級がその利益追求の障害となる支配階級を排除することになる。これが「革命」である。

 

※これについては古代における奴隷の反乱から、フランス革命、さらには近・現代におけるクーデターの多くにもその例を見ることができる。 



4・終わりに〜現代政治との照合


以上に見てきた現象・組織は現代の政治的アクターにも当てはめることができる。
まず、1で書いた組織を構成する個々人の利益を代表する集団であるが、これは今日の利益集団にも当てはまるといえる。よって利益集団内に明確な階級差は無く、組織のトップもあくまでその構成員の利益の最大化を主眼に行動しなくてはならない。日本における農協、医師会その他もあくまで「主役」は一構成員である。

次に3で書いたような支配・被支配関係を含む組織は宗教的組織、イデオロギー色の強い政治団体、倫理的な価値観に訴える政治団体などである。これらの組織は被支配者に、教義、イデオロギー、倫理などを啓発し支配階級の意図するままに行動させることができる。よってこの種の組織のリーダーは組織内においては絶対的影響力を保持し、また利益、財を寡占することができる。
 

参考文献・なし


Home

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送